西加奈子『i』
西加奈子さんの『i』読了
シリア生まれのアイは、アメリカ人の父と日本人の母に養子として引き取られる。
成長とともに自分が恵まれた環境にいること、選ばれたことに罪悪感を持ち、テロや災害が起こると、死者数を黒いノートに記入する習慣を持つようになる。
どうして自分は生き残ってしまったのか、選ばれたのか。アイは終始そのことに悩み続ける。
どんな思いで西さんがこの本を書いたのか、日本人ならば未だ3.11の記憶は強く根付いているだろう。
だれしもが抱いたであろう感情を、西さんは繊細な主人公とともに、それを掘り下げている。
わたし自身罪悪感を抱いた。
のうのうと明るい昔からの我が家で、暖かいご飯を食べていること。
興奮した口調で、震災にまつわるニュースを口にすること。
海外の紛争に対する浅い知識。
苦しんでいる人がいるとわかっているのに、わたしは何をしているのか、わたしに一体何ができるのか、何をすることが正しいのか分からなかった。
3.11後、東京に留まることを決意したアイは、その理由を「命の危機を、その恐怖を語る権利を得たかった」からだと後に述べる。
直面するとわかるのだろう。
誰も犠牲になどなりたくない。そうしたことを思うのは、アイの言うように傲慢だ。
しかし、そんな第三者が悲しんではいけないかというと、そうではない。
痛みはその人だけのものだ。
どんなに理解しようとしたって、似たような苦しみだって、本当のところはその人にしかわからないし感じない。
同じものを語ることはできない。
しかし、人には心がある。
思いやり、理解したいと
想像する心がある。
正解はないし、全く逆効果を見せることもあるだろう。
けれど、想像して一緒に苦しんでくれることは、その人を勇気付けるのではないか。
忘れられ、腫れ物に触るような態度ではなく、寄り添い近くにいようとしてくれるだけで、その人を救うことができるのではないか。
インターネットがあることで、情報の伝達は早くなった。
路上で殴られ血を流すおばあさんの姿
小さなゴムボートにこれでもかと乗っているたくさんの人々
笑いながら逃げてきたと話す同い年くらいの女の子
それはあまりにもダイレクトに、お手軽に伝わりすぎて、長い過程を得られないために多くのものが削ぎ落とされているのではないか。
忘れるのではなく、無関心ではなく、想像すること、知ること。
それによって、胸を痛める、涙を流す。
偽善者のように見えるかもしれないが、本当に考え想像したのならば、その悲惨な事実に涙が流れるのは、正常な人間だと思う。
こんな題材をテーマに小説を書いた西さんは本当にすごいと思った。
こういったテーマに対して、自分の考えを晒すのは恐怖を覚えると思う。
それをアイとともに描いてくれた
もう一度読み直そうと思います。