荻原浩『二千七百の夏と冬』
今回読んだ荻原浩さんの『二千七百の夏と冬』は、まさに徹夜本!
歴史ものでありながら現代と古代がリンクする美味しいストーリー構成。
現代の新聞記者である香梛は、ダムの建設中に発掘された、縄文人の人骨について記事を書いていた。
もう一人の主人公は、まさに発掘された人骨、ウルクである。
時は縄文時代と弥生時代の狭間で、成人の儀式を控えるウルクは虫歯に悩まされていた。
現代と古代のリンク、といったが、このリンクがとても面白い。
まず、香梛とウルクは同様に虫歯に悩まされている。
治療といっても歯を抜くしか手段のないウルクはガチで虫歯に悩まされる。しかも虫歯とは別に、成人の儀式で歯抜きをしなければいけないのだ…
恐ろしい。
また、冬の前触れである秋には、現代人好物の紅葉が訪れるが、ウルクたちは紅葉を葉の恨み、葉が死にかけ血を流している、とたとえている。
このたとえに、紅葉を楽しむところではない、食物の蓄えだ!衣服を作れ!という縄文時代の厳しさを垣間見ることができる。
また現代の日本文化の根源をウルクの目から知ることもできる。
ウルクたちの暮らす自然の中には神がたくさんおり、ウルクたちは山の動物や川の魚は、神が天から落としてくれた恵みであると考えている。神が怒るので獲物の取りすぎはよくない、などこれらの考えはアニミズム概念であり、日本の哲学や文化に深く根ざした考え方である。
作中のリンクは香梛とウルクの結びつきを強めるし、なにより部外者である私たち読者もそうだ。
この知っている、分かる!という快感がたまらない。
現代に通じる共通点を登場させることで物語に入りやすくなった。
そして縄文時代特有の、狩猟のシーンが痛快である。
テンポよく進む物語と、つい待ちきれなくて結末の文章を見てしまいそうになるほどの緊張感。
風の動きを読むために頬に唾をつけたり、川の音の種類や矢の作り方など、無人島生活がしたくなるような豆知識もいっぱい。これが本来ヒトの生きる姿なんだなと思った。
いつの時代も生き物は恋をしている。
縄文人は今の人間とはかけ離れた存在だと思っていた。
けれどこの本を読んで、縄文人は現代の私たちよりもよほど自然の真理を知り尽くしていたのだと思った。
弥生時代の米の普及により、田畑をつくるためのリーダーが生まれ、そこから権力やら国やらができたという人類の歴史はよく知られた話である。
この本を読んでまるでタイムスリップしたかのように、歴史が変わった瞬間をウルクの目から知ることができた。
今も現代に残る彼らの生活の跡に、人類の歴史の短さを感じる。
人間が寿命を全うしたとして、90歳まで生きたとすると、それをたったの30回繰り返せば、''二千七百年前''にたどり着くらしい。
獲物の肉は命と引き換え。
便利さは争いと引き換え。
お釜からひょいっと米をすくえるけれど、これを手に入れるのにどれほどの苦労があったのか。結局これを選んで私たちは幸せになったのか。
神も仏もないこの世で、私たちは今までの歴史と自分をもう一度見見直す必要がある。