日記とか発信とかって意味あるの?

 

日記を書こうと思ったのだけど、自分の日常を公開することに意味なんてあるのかな?と思ったので、それについて書きたいと思う。

 

まず、大問題なのだけど、私の場合伝えたいことがなかなか見つからない。

うおおおおこれ書きてえええ!!!

ってなったことがない。

 

だから、おもしろい日記を公開している人は本当にすごいなと思う。

でも、そんな日記には、筆者の見えない努力が、惜しみなく注ぎ込まれているのだろう。

 

だから、毎日面白い日記を更新している人はほんとにすごいと思う。

パワーがすごいなって。

 

 

 

創作って、もともとなくてもいい存在なのに、なぜか正解を探してしまう。

だってみんな読みやすい文章とか、うまい構成とかって、よくいうじゃない。

 

 

でも、文章をうまくきれいに書くのと、正解を求めることって違うんだなと、やっと気づいた。

 

それは、「伝えたい」という思いのエネルギーの違いなのだ。

 

 

たとえば日記。

 

私の場合、日記は自分の頭のなかを整理するために書いている。

だから文字も汚いし、文章の構成もすごく雑だし、たぶん読んだら気持ち悪くなるようなことばかり書いていると思う。

 

でも、これが他人に知られたいことかというと、微妙なんだよね。

だって、これは私がもっと成長するためにつかっているものだから。1分1秒前の自分の遺書を書いているような気持ちで書いている。

 

一方で、ブログとかで発信する日記は、また違った意味を持っているように思う。

 

自分が思ったことを他人にうまく伝えること。発見したことをうまく表現して相手に伝えること。

 

まだ私もよくわからない。

 

お得な情報なんて素人の日記にはないし、文章が汚かったら誰も見向きをしない。

だから日記をネット上で読んでもらうのって、とても難しいことだと思う。

だって、ターゲットが見えないから。

日記のターゲットは、自分だから。

 

 

自分のために書くこと、作ること。

 

そうした創作物を喜ぶのは、果たしてどんな人物なんだろうか。

 

書き手の考えに共感している人。同じことで悩んでいる人。暇な人。その人が好きで好きで仕方がない人。

 

こんなかんじ?

 

 

じゃあ、なんで日記を発信する人は、発信するのだろう。

 

認められたいから?日記なら簡単そうと思ってるから?疑問をぶつけたいから?

 

それならツイッターとか、チャットとか電話があるじゃんって思うけど。

 

難しいね。

 

私も、発信しはじめたばかりだから、何もわからない。

 

これを書いている今だって、ふだん自分がコソコソ書いている日記と変わらないじゃんって思っている。

匿名で発信することが好きなのかな。

でもそのくせ認められたいって思ってるから、難しいよね。

 

ほんとは日記じゃなくて、小説をかいてみたかったりもするし。

 

 

たぶん私が伝えたいことって、まだそんなにないんだと思う。

 

いったいみんなどんなときに、絵を描いたりピアノをひいたりしているの?

 

そばに誰もいないとき?孤独で孤独で仕方がないとき?すごく苦しいとき?

 

私の中に「文を書いてないと死ぬ!!」みたいな激しい衝動は、いまのところ残念ながらない。

 

作ることよりも、正解を求めてばかりで、他人の言葉ばかりきいていた私。

20年ばかし、ずっとそんな状態だったから、もう私は何もできないかもしれない。

 

きれいな音楽を生み出すことも、劇をすることも、有名な画家になることも、透明で綺麗な文を書くことも、もうできないかもしれない。

 

もう20を過ぎたら、人生は下降のみかもしれない。

 

それでも、私はなにかを作りたい。

とゆーか、私は自分になりたい。

 

むやみに絵を書いて、狭いリビングでくるくる踊って、動物に話しかけて、詩を作っていた頃の自分に戻りたい。

 

誰にも、今の歳が、若いときが一番だよ、なんて言わせたくない。

今まで以上に輝いていたい。

 

だから、伝えたいことがなくたって、ものすごい天才がそばにいたって、焦らないでいたい。

 

常に心の声を聞くことは忘れないで。